11月29日 先日の「芸能花舞台」から

11月28日 23:30~ 
ETV 芸能花舞台
伝説の至芸・二世桐竹勘十郎


国立文楽劇場へ行くと、二世が扱っている団七の絵画が
飾られている。現・勘十郎さんにそっくりである。

その絵画から抜け出たように団七を映像で見ることができた。
義平次は玉男さん、語りが団七が呂大夫さん、義平次が
伊達大夫さん。 いずれも故人である。
先日の中村座での勘三郎さんと笹野さんの泥場も
すざまじいが、文楽の夏祭は人形なのに夏の日差しや暑さ、
埃や土の臭いを感じさせてくれる独特の雰囲気がある。

始めて文楽で夏祭の通しを見た時、語りが映像で同じ二人、
団七は玉男さん、義平次が文雀さんで人形・義太夫・三味線の
三位一体で裏町の暗さや泥臭さを感じたのを見ながら思い出
した。
豪快で力強い語りの呂大夫さん、いぶし銀の渋さある
伊達大夫さんの語りは今でも忘れられない。
現・勘十郎さんに「そんな動きはないと思われるくらい人形の
限界まで動かせ。」と先代は語り聞かせたらしい。
まさに団七はその言葉の現れだろう。団七を演じる際は
気合十分だったという。(出は“よっしゃー” と威勢良く声をかけ
出たらしい)当時足遣いだった現・勘十郎さんは
動きが激しすぎてついていくのが大変だったらしい。

他にも「朝顔日記」の萩の祐仙での滑稽身のある動き、
ゲストの後藤さんが到達した芸ではといわせた「新口村」での
孫右衛門が併せて紹介された。
笑ひ薬の毒される祐仙の動きと綱大夫さんの語りがおかしく、
孫右衛門は越路大夫さんと清治さんで、黒子姿で扱われる。

玉男さん同期入門とのこと。
長生きされていれば拝見できたかもしれない人形遣いさんで
ある。拝見できなったのが残念で仕方がない。


NHKの貴重なアーカイブス資料から、
亡くなられた名人達をご紹介する伝説の至芸。
今回は人形浄瑠璃文楽を代表する人形遣い・
二世桐竹勘十郎の芸と人を振り返ります。

<内容>
●『夏祭浪花鑑』長町裏の段
(1982年放送、大阪・朝日座)
人 形 :桐竹勘十郎(団七九郎兵衛)、
     吉田玉男(義平次)
浄瑠璃 :竹本伊達大夫、豊竹呂大夫
三味線 :鶴澤叶太郎

●『生写朝顔話』笑ひ薬の段
(1979年放送 大阪・朝日座)
人 形 :桐竹勘十郎(祐仙)
浄瑠璃 :竹本綱大夫
三味線 :鶴澤重造

●『恋飛脚大和往来』新口村の段
(1981年放送 NHKスタジオ)
人 形 :桐竹勘十郎(孫右衛門)
浄瑠璃 :竹本越路大夫
三味線 :鶴澤清治


<ゲスト>
三世 桐竹勘十郎(文楽人形遣い)
後藤 静夫
(京都市芸術大学日本伝統音楽研究センター教授)
案内・古谷敏郎(NHKアナウンサー)


<人物紹介>
二世 桐竹勘十郎
-大正9年(1920)~昭和61年(1986)-
大正9年(1920) 佐賀県生まれ。
父の会社の倒産で大阪へ移り住む。
中学の時父が死に、紙芝居で学費を稼いだという。
昭和7年(1932) 知人の誘いで文楽へ行ったのが
きっかけで、女形の名手・二世桐竹紋十郎に入門。
桐竹紋昇を名乗る。
女形の修行を積むが、同じ道では師匠を越せないと、
立役(男役)となり師匠の相手を勤める道を志す。
昭和26年(1951) 二世・桐竹勘十郎を襲名。折しも、
文楽が2派に分裂している時、人不足の人形陣のなかで
未経験の大役を次々と遣う。
立役として特定の師を持たないハンデのあった勘十郎は、
厳しい修行と様々な人・事象の的確な観察力と豊富な
経験をもとに、スケールの大きな人形を遣った。
昭和57年(1982) 重要無形文化財保持者に認定。
昭和61年(1986) 8月14日死去。享年66。

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